教育機会確保法案 3.23緊急院内集会
法律が子どもと教育にあたえる影響
もっと聞こうよ当事者の声
イベント報告①池田賢市編
院内集会イベント報告②金井利之編はこちら
院内集会イベント報告③桜井智恵子編はこちら
お待たせしました。イベント報告です。
池田先生の講演をまとめたものです。
「座長案の4つの問題点」池田賢市さん
■すでに憲法に書いてありますから、ご心配なく
私のほうからは大きく4点問題点を指摘したいと思っております。
この法律は必要ないばかりか法律ができてしまうとたいへんまずいこと、とても問題が起こるというふうに考えています。
今日ここにいる3人は全員そのような認識です。
まず座長案の第一条をみてください。
「この法律は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)及び児童の権利に関する条約等の教育に関する条約の趣旨にのっとり、教育機会の確保等に関する施策に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、基本指針策定その他の必要な事項を定めることにより、教育機会の確保等に関する施策を総合的に推進することを目的とする」となっています。
まずこれを読んでの第一印象は、教育の機会の確保に関する基本理念って、すでに憲法に書いてあるよなと思ったわけです。わざわざ法律をつくるまでもなく、憲法二六条には国は教育を受ける権利保障をするのだとちゃんと書いてあります。しかも憲法二五条には生存権の規定がきちんとあって、すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。そのために国はいろんな施策をしなければいけないと書かれています。
さらに言うと憲法十一条には基本的人権の尊重が書かれていますし、十三条は個人の尊重や幸福追求権が書かれています。もっと言うと十四条には、法のもとの平等が書かれています。詳しい条文はここで読み上げませんけれど、そんなことを考えていくと、もうすでに教育に関するあるいは子どもたちの生活に関するさまざまなこと、何を権利ととらえて、どういうふうに国はその権利保障のためにやっていくのかという根本的な理念はすでに日本国憲法に書いてあるんですね。この理念にのっとりしっかりやっていくようにしてほしい。まず、座長案を読んだ印象論も含めてそんなふうに思っています。
■不登校を自己責任でとらえていいのか
さて、座長案の第二条をみてください。〈定義〉と書かれています。「不登校児童生徒」という定義が二番目にあります。「相当の期間学校を欠席する児童生徒のうち、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学困難な状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められる者をいう。」となっています。
これはまさに、「不登校は、不登校になった子どもたちの責任です」という認識です。学校に問題があると思っていないということですよね。子どもたちが何か心理的に行けなくなったんだと思っている。
じゃあ、どうして行けなくなったのか。そこを考えようとするベクトルは持っていないということですね。不登校を自己責任でとらえていいのか。
■不登校の子用の特別学校をつくる?
さらには、かつて文部省は「不登校はどの子にも起こりうる」という認識を示してましたよね。それなのに、まるで特別扱いしますというような定義をしている。果たしてそれでいいんだろうか。一部の子どもを定義して分類するということ自体が果たしていいのか。
不登校の子どもをいったん定義して、その子たち用の学校をつくるんですよね。第十条をみていただくと〈特別の教育課程に基づく教育を行う学校の整備等〉と書いてあり、不登校の子たちだけを集める学校をつくると書いてあるんです。
こんなふうになんらかの指標とか視点で子どもたちが定義されて分類されて学ぶ場所を分けられてしまうわけですよね。もし自分がもし学校に通っていたら、今度はどんな視点でだれが分類されるんだろうと気が気じゃないですね。いったいどんな定義が今度はやってくるのか。今度は分類される側に自分がまわるんじゃないかというふうな不安をもちます。その基準なんか適当に決まっちゃうわけですから。となると、この条文のなかには第三条の基本理念にもその他の条文のところにも「安心して教育が受けられるような学校にする」んだって書いてあるんですけど、まったく安心できないですよね。いつ分類されて、いつ出て行けと言われるかわからないわけですから。
■自由な学習活動は認められない
座長案の第十三条には、「学校以外の場において行う多様な学習活動」と「多様な」という言葉が出ています。日常用語的に「多様な」とか「多様性」というと、きっとこれは自分たちの自由がかなり認められるんじゃないかという印象を与えてしまうかもしれませんけれど、同じ十三条の条文の中で「当該不登校児童生徒の状況に応じた適切な学習活動が行われることとなるよう」助言とか支援をすると書いてあります。「多様な」と言っておきながら、適切な学習活動かどうかはチェックしますと言ってるわけですよね。ですから「多様な」は、「自由な」という言葉とイコールではないということです。多様性は認められないということでしょう。いずれにしても何が適切かというのは、どうやら国とか地方公共団体が考えるらしい。
■公教育の民営化、マーケットの拡大
三番目に今の多様性というところと絡んでなんですけれど、公教育の民営化というところですね。フリースクールの経済的支援に関しては、この後、金井さんの方からお話があると思いますけど、いずれにしても公教育と言われている公共部門に、いま、民間活力の導入などと言われていますが、まあ、マーケットですね。公教育を市場として見ることだと思います。そこに投資のマーケットがつくられるということだと思います。しかもそれは自由な競争をさせてくれるわけでもなく、適切な学習かどうかはちゃんと見ますということですので、自由な教育活動が許されるというわけでもない。つまり公教育に対する税金が民間企業に流れていく。そういうルートがつくられていくということかなと思っております。
■夜間中学は別個の問題として考えるべき
四番目に、第四章の十四条、十五条ですけれど、これは基本的に夜間中学校のことですね。もともとこのフリースクールをどうしようかということと、夜間中学のこととは、全く別の議連が立ち上がっていて、全く別に話し合われていた。ところが、誰かから見るとそれは同じことに見えたんでしょうね。それで、同じ法律の中に入っているということになります。こんなふうに法律にすることによって、今まで恐らく夜間中学校が自主的な部分で積み重ねていた教育実践といったものが、ほんとうにそのまま引き継げるのかどうか。とても難しいのではないか、怪しいなと思っております。というのは、十五条のほうに協議会を作るとなっています。夜間中学校を運営するためにはここに書いてある知事とか教育委員会とか民間団体とか.と協議を行って調整すると書かれているので、これをやられちゃうと多分教育活動も手かせ足かせで相当やりずらくなるのではないかと思っております。仮に夜間中学校のことを法律にするのであれば別の法律じゃないとこれは相当混乱するのではないか。
整理すると、憲法に書いてあるよということ、分類してしまうことの怖さ、排除と包摂、一旦排除して抱え込んで監視する。そして、民営化といってもそれはマーケットが広がったという意味であって何か自由な活動を保障するということではない。夜間中学校は別個の問題として考えた方がいいのではないか。この4点の指摘をさせていただきました。
■当事者と語りあういけふくろうの会
「義務教育の段階における普通教育に相当する教育機会の確保等に関する法律案」白紙撤回を求める院内集会のご報告
院内集会ミニ報告
当日は会場に満員の80名が集まってくれました。議員が1名、議員秘書が6名。マスコミ各社が集まりました。
当日配った資料&声明文など関連資料の入手サイトをまとめました。ご参照ください。
■不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会 ネットワーク
声明、記者会見告知など
※参考・補足
院内集会とは関係ないですが声明を出しているすばらしい団体
■公教育計画学会
義務教育における普通教育に相当する教育機会の確保等に関する法律案」一旦、白紙撤回し、再検討を
http://goo.gl/MsVIUQ